小田急の悲願だった「新宿-小田原間60分切り」達成までの歴史


優れた鉄道車両に贈られる「ブルーリボン賞」。今年は小田急の新型ロマンスカーが受賞した。今回受賞した新型70000形「GSE」は、複々線化完成にあわせてデビューした記念すべき車両だ。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)

ロマンスカーのための賞!? 鉄道のブルーリボン賞とは


 鉄道愛好者団体「鉄道友の会」は5月23日、2019年の「ブルーリボン賞」に小田急電鉄の新型ロマンスカー70000形「GSE」を選定したと発表した。1958年に制定され、今年で第62回を迎えるこの賞は、前年にデビューした鉄道車両の中から最も優れた車両に贈られる栄誉ある賞だ。

 2018年3月から営業運転を開始した70000形は、展望席やスタイリッシュなデザインなど小田急ロマンスカーとしての伝統を継承しつつ、電力消費量や騒音を低減した走行装置や、車体の揺れを抑えて乗り心地を向上させるフルアクティブサスペンションなど最新技術を採用。車内にはバリアフリー対応設備や荷物置きスペース、防犯カメラ、車内Wi-Fi、座席コンセントを完備するなど、高い完成度で仕上げられたことが評価された。

 ロマンスカーにとって「ブルーリボン賞」の獲得は至上命令で、歴代9車種中8車種が受賞している。というのも、そもそも鉄道の「ブルーリボン賞」とはロマンスカーのために制定された賞だからだ。

ブルーリボン賞」といえば、世界的には大西洋横断船の最速記録保持船に贈られる賞が有名だ。正式な賞として制定されたのは1935年だが、最速船が栄誉の証しとしてマストにブルーリボンを掲げる習慣は19世紀に始まったものだという。「ブルーリボン」とは元々、イギリスの最高勲章である「ガーター勲章」の懸章(肩から懸ける帯)が青色だったことに由来する。

 日本で「ブルーリボン賞」といえば、鉄道ファン以外は映画賞の方を思い浮かべるかもしれない。映画のブルーリボン賞は1951年に新聞の映画担当記者が中心となって制定したもので、当初は「東京映画記者会賞」と称していた。手作りの映画賞だったため、受賞者に贈られたのは手書きの賞状だけ。ありあわせの青いリボンで賞状を結ったことにちなんで、第2回から「ブルーリボン賞」と呼ばれるようになったというのは、いかにも新聞記者らしいウイットに富んだエピソードだ。

新宿〜小田原間最速運転を 追求してきたロマンスカー


 鉄道のブルーリボン賞が制定されたのは1958年のこと。その前年にデビューし、第1回ブルーリボン賞に選定されたのが小田急電鉄ロマンスカー3000形「SE」である。

「SE」すなわちSuper Expressと称されたこの車両は、小田急が新宿~小田原間を60分で運行することを目指して、国鉄の鉄道技術研究所の協力を得て開発された。特急運用に特化することで車体を徹底的に軽量化・低重心化し、速度試験で当時の記録となる最高速度時速145キロを達成。開発で得られた経験とデータは後の新幹線開発の基礎になった。

 この歴史的名車「SE」を顕彰するために制定されたのが「ブルーリボン賞」だ。鉄道友の会事務局によれば、汽船や映画にブルーリボン賞があるように、鉄道でも最も優れた車両に授賞する賞があってもいいという思いから制定されたことが、名前の由来だという。

 大西洋最速横断船に贈られたブルーリボン賞に見立てて、速度記録を打ち立てたロマンスカーに「ブルーリボン賞」を贈ったというわけではないようだが、ロマンスカーの歴史は大西洋最速横断ならぬ新宿〜小田原間最速を目指した歴史でもあった。

 小田急は戦時中に中断した特急運転を1949年に再開するが、この時点で新宿~小田原間は約100分を要した。1957年に「SE」が就役すると所要時間は75分に、1963年には後継車両3100形「NSE」の投入によって62分まで短縮した。しかし、1970年代以降は列車本数の増加により速度が出せなくなり、所要時間は最速69分まで後退。当初の目標だった「60分切り」はむしろ遠のいてしまう。

 60年越しの悲願が達成されたのは、新型ロマンスカー「GSE」のデビューと同じく2018年3月。代々木上原~登戸間の複々線化工事がようやく完成、列車本数が多い区間の線路が分離されたことで、ロマンスカーが性能を発揮できる環境が整備され、土休日の下り「スーパーはこね」4本で新宿~小田原間59分運転を開始したのである。

ロマンスカー」の本家本元は 小田急ではなかった!


 ところで「ロマンスカー」といえば小田急の代名詞で、同社の登録商標であるが、実は本家本元は小田急ではない。初めて「ロマンスカー」を名乗った鉄道車両は、京阪電気鉄道が1927年に導入した「1550型」車両といわれており、他にも戦前の関西では転換クロスシートを備えた車両をロマンスカーと称した事例が多くみられる。こうした車両は戦時中に全廃されたが、戦後数年が経つとクロスシートを備えた特急車両が再登場し、ロマンスカーの呼び名も復活した。

 ただ、戦後の「ロマンスカー」は、戦前のそれよりももっと「具体的なイメージ」を帯びていたようだ。というのもロマンスカーの復活と同じ時期、映画館や喫茶店で、恋人同士が隣り合って座る二人掛けの座席が「ロマンスシート」として大流行していたからだ。

 小田急クロスシートを備えた車両にロマンスカーというキャッチコピーを初めて付けたのは1949年のことだが、これは当時新宿の映画館に設置されていたロマンスシートをヒントにしたものだという説がある。ロマンスカーとロマンスシートのどちらが先に生まれたのかは定かではないが、少なくとも戦争を生き抜いた若い世代にとって、このような座席が平和と自由のシンボルだったことは間違いないだろう。ロマンスカーと映画は、戦後文化においてリボンのように結びあった関係だった。

 小田急は2021年春の開館を目指して、海老名駅の隣接地に「ロマンスカーミュージアム」の建設を進めている。「子どもも大人も楽しめる鉄道ミュージアム」をコンセプトに、ブルーリボン賞を受賞した5種類の歴代ロマンスカーの車両展示や、ジオラマ、電車運転シミュレーターなどが設置される予定だ。


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