休止間近!「上野動物園モノレール」が担った“意外な役割”


新時代が幕を開けた今年、日本で最初に開業したモノレールが運行を休止する。東京・上野の上野動物園内を運行するモノレール「上野懸垂線」だ。1957年の開通から62年。2019年11月1日から休止する予定で、今後の方針はまだ決まっていない。
 上野動物園モノレールは「東園」と「西園」の間の300メートルを約1分半で走行する短い路線だ。現在の車両は4代目で、運行開始から17年が経過。年間100万人前後の乗客を乗せてきた車両も、老朽化が進んでいるという。
 上野動物園モノレールが歩んできた60年を振り返ると、決して順調な時期ばかりではなかった。廃止論や運営コストの増加など、さまざまな困難を乗り越えながら、来園者を楽しませてきたのだ。その歩みをあらためて振り返り、これまで存続してきたすごさを実感しながら、休止前の“乗り納め”をしてはどうだろうか。

photo 11月1日から休止することが決まっている「上野動物園モノレール」(東京都交通局提供、以下同)

「実験」として生まれた懸垂式モノレール

 そもそも、なぜ日本初のモノレールが上野動物園に設置されたのか。東京都交通局に話を聞くと、このモノレールは「実験線」の位置付けだったという。
 当時、都内の交通手段としては、路面電車の都電が主流だった。しかし、自動車が普及し始めたことで、道路では渋滞が多発。車と同じ道路を走る都電も渋滞に巻き込まれ、定時運行が困難になっていった。
 そこで検討されたのが、地下鉄やモノレールといった新しい交通手段。のちに、輸送力に優れた地下鉄が主流になったことは言うまでもないが、モノレールも実験対象として検討されていた。交通局によると、上野動物園は一定の運行距離を確保でき、高低差や小半径の曲線が作れて、利用者数も見込める場所としてモノレールの設置が検討されたという。
 当時、モノレールの開発と運行は世界的に見ても珍しく、上野動物園モノレールはドイツに次ぐ史上2番目のモノレールだった。ドイツのモノレールを参考にして、レールから車両がぶら下がる形の「懸垂式」のモノレールを採用。現在よく見られる、車両がレールを跨ぐ形の「跨座式」はまだ存在しなかった。現在、他にも懸垂式のモノレールはあるが、車両が片側の腕だけで吊られている形は上野動物園モノレールのみだという。

photo 1957年に運行を開始した初代の「H形」

役割を終え、「廃止論」が持ち上がる

 上野動物園モノレールの運行は華々しく始まった。開業の式典では、動物園のチンパンジーが運転士に花束を渡すというパフォーマンスを実施。東京の“新名所”として、物珍しさからたくさんの人がモノレールに乗るために訪れたという。
photo 開業の式典には、チンパンジーが登場
 しかし、7年後の1964年にいったんその役割を終える。なぜなら、羽田空港へのアクセス線となる東京モノレールが開通したからだ。モノレールが公共交通として本格的に運用されるようになったことで、「“実験”としての役割は終わった」(担当者)。それでも、そのときにはすでに動物園の来場者に親しまれる存在として、新たな道を歩もうとしていた。
 67年には2代目の車両が運行を開始し、ジャイアントパンダ来園の翌年の73年度には年間150万人が乗車。過去最高の利用者数を記録している。
photo 2代目車両の「M形」
 ところが、2代目車両の使用年数が10年を超えていた80年、「廃止論」が持ち上がった。モノレールの利用者は相変わらず多かったが、車両更新には時間もコストもかかる。当初の「実験」としての役割もとっくに終えている。公共交通の必要性を考えた上での廃止論だった。
 この流れに「待った」をかけたのは、動物園のモノレールに慣れ親しんでいた利用者たちだ。「存続してほしい」という要望が多く寄せられたことが、3代目車両の製造を後押しした。85年に運行を開始した新車両は、それまでよりも窓が大きくなり、後にはパンダのイラストもあしらわれた。
photo 3代目車両の「30形」
 しかし、廃止論はそこでなくなったわけではない。3代目車両が老朽化してきたころ、交通局では再び「存続は厳しい」という意見が挙がった。一方で、動物園を運営する東京都建設局は「必要な施設」という意向だったという。そこで、交通局が担ってきたモノレール運営を、建設局と分担することに。施設を建設局が所有し、交通局は運行に専念することで、存続することができた。

進化した4代目車両

 このとき新しく製造されたのが、4代目の現行車両だ。2001年から運行している。初代から全ての車両を製作してきた日本車輌製造が今回も担当した。
photo 4代目車両の「40形」
 4代目車両は、公共交通の実験としての意味合いが強かった昔の車両と比べると、カラフルで親しみやすいデザインになっている。座席の形状も昔の車両から変化している。車両中央に長い座席が背中合わせに設置されており、座って窓の外の景色を楽しめるようになっている。2両編成で1両当たり31人乗り。全員が座った状態でしか走れない。
photo 現行車両の車内。景色を楽しめる座席配置になっている
 だから、モノレールに乗るために長い行列ができることも珍しくない。「移動手段というよりは、遊具のような感じで乗っていただいている」(担当者)。ファミリーを中心に、まるで空中散歩をしているように景色を楽しんでいる。
 ちなみに、上野動物園モノレールの運転手は、もともと地下鉄の運転士だった人が多い。免許を持つ職員が再雇用されて、モノレールを運転しているケースが多いという。

日本最古の形式を維持する難しさ

 新しい交通の“実験”として誕生した上野動物園モノレールは、動物園の発展とともに、多くの人に親しまれる存在へと変わっていった。現在、来園者の4人に1人ほどがモノレールに乗車しているという。休止が発表された後、「慣れ親しんだ人から、存続を求める声もいただいている」(担当者)
photo 開通記念として発売された乗車券
photo 1988年、パンダの赤ちゃん誕生記念で発売された乗車券
 
 しかし、その歴史が物語っているように、「(実験という)役割を終えた上で、その形式を維持しながら続けていくには多くの課題がある」(同)。国内唯一の車両を更新するには3年程度かかり、製造できるのは1社のみ。製造技術の継承や部品の確保も課題だ。
 モノレールの休止後は、東園と西園を往復する電気自動車などを運行するというが、今後モノレールをどうするかは決まっていない。上野動物園全体の発展や魅力向上も踏まえて、車両更新や廃止、あるいは他の乗り物の整備などを検討していく。
 上野動物園にモノレールが走っている風景を当たり前のように感じてきた人も多いだろう。その歴史に思いをはせつつ、日本最古のモノレールが走る風景を目に焼き付けておくのもいいかもしれない。


鉄道コム