東京・地下鉄「軍用路線説」の真相


大都市・東京。その地下に、蜘蛛の巣のように張り巡らされている地下鉄網。東京メトロ都営地下鉄を合わせれば、全部で13の路線が走っている。古いものでは戦前から建設がはじまり、戦後の1960年代から70年代にかけて多くの路線が建設された……というのが公に知られている“事実”である。

 しかし、地下鉄の路線網をつぶさに見ていくと、果たしてそうなのか、疑問に思える地点が多々見られるのだ。東京の地下事情に詳しい専門家A 氏は、「地下鉄の路線の多くは、戦前から軍事目的で建設されていた」と言う。

 「路線図を一目見ればわかると思いますが、地下鉄は皇居の下を通っていません。皇族が暮らしている場所の下に地下鉄を通すこと自体が不敬だから、とかなんとか理由が付けられていますが、果たしてそうなのでしょうか。地下鉄のトンネルを造るためには、地上の土地を所有している人から賃貸しなければいけない。そのため、道路に沿ってトンネルを掘ることが多いのですが、だったらいっそのこと皇居の真下にトンネルを通した方が話は早い。皇居は国の持ち物であり、戦後の地下鉄建設ラッシュ時は、戦前のように『天皇を敬うべし』という雰囲気はなかった。にもかかわらず、トンネルがないというのには、何か特別な理由があるからに他ならないのです」(A 氏)

 そして、その答えのひとつが、「戦前からすでに地下鉄のトンネルが出来上がっていた」というものだ。
「地下鉄のほとんどの路線は、国会議事堂や首相官邸、官公庁のある永田町周辺を通っています。一方で、繁華街である新宿や池袋、渋谷、六本木、赤坂などを通る路線は意外なほど少ない。これも不自然です。つまり、地下鉄のトンネルは、利用者が多い場所を通るように造られたのではなく、永田町を利用する役人や政府首脳が利用するために造られた、何よりの証拠とは言えないでしょうか」(A 氏)

 確かに、いくら官公庁が集まるエリアとはいえ、永田町周辺には地下鉄の路線が集まり過ぎている。国会議事堂前駅永田町駅から国会に通じる“秘密のトンネル”があるというのは、もはや公然の秘密。それはすでに戦前から建設されており、いざという時に政府要人が避難するための通路として、利用されていたのではないかと推察されるのだ。

霞ヶ関駅建設中にタイミング良く巨大防空壕跡が発見

 ただ、現実的に考えれば、有事に際して対応の拠点となる官公庁や国会、首相官邸などを中心に地下鉄が建設されるのは、不思議でもないような気もする。それに新宿や渋谷などの繁華街は、山手線の外周沿いに多い。山手線の内側の交通網という地下鉄の役割を考えれば、繁華街に多くの路線が集中していないというのも、それほど違和感はないのではないか。

 「もちろん、そういう考え方もできますし、可能性は否定しません。ですが、私の抱く疑問を裏付けるような事実もあるんです。例えば実際に公表されているものとしては、霞ヶ関駅の建設時に巨大な防空壕の跡が発見されて、爆破処理したというものがあります。これは、地下鉄の建設史にも残されている事実。防空壕の一部はそのままトンネルとして利用されているそうです。しかし、たかだか20年程度前に造られた防空壕が“発見”されるというのは、どうなのでしょうか。田舎町などで住民が勝手に掘ったような防空壕ならばともかく、天下の霞ケ関の地下ですよ。当然、計画通りに造られたものであると考えるのが妥当でしょう。図面などは終戦時に廃棄されたのかもしれませんが、存在すら誰も知らないというのはどう考えてもおかしな話。とすれば、あらかじめ多くのトンネルが掘られており、その事実から目を背けさせるため、でっち上げたものだという考え方に何の不思議もないでしょう」(A 氏)

 戦前から存在していた地下鉄は、現在の銀座線のみ。銀座線は1932年から1939年にかけて建設された。そして、ちょうどこの間の1936年には二・二六事件が勃発。多くの政府要人らが命を落としている。こうした事態に備えるべく、建設中の地下鉄路線を利用した“緊急避難経路”が計画されたとしても、それは何ら不自然なことではない。

 事実、銀座線以外の地下鉄も、すでに計画や建設が進められていた。赤坂見附駅で銀座線と接続している丸ノ内線は、戦前から数億円規模の工費が投入され、赤坂見附から新宿に向けた工事が行われていたのだ。しかし、戦況の悪化によって丸ノ内線は完成しなかったとされている。

 「赤坂見附には、ご存じ赤坂御用地があります。皇族がここから新宿、すなわち郊外に向けて避難することができる。銀座線のトンネルを利用すれば、政府首脳の避難路としても使えます。おそらく、建設は中断されておらず、国費を投じて最後まで掘り進められたはずです」(A 氏)

 戦況が悪化して東京にもB‐29が飛んでくるような頃ならばもちろん、皇族の極秘避難経路が建設されるのは至極もっともだ。

有楽町線副都心線“乗り入れ”真の目的

 さらに、戦後に建設された地下鉄路線にも、気になる点は多い。例えば、地下鉄有楽町線である。有名な話だが、有楽町線自衛隊関連の主要施設を結んでいるのだ。別の鉄道ジャーナリストが言う。

 「有楽町線が乗り入れている東武東上線沿線には朝霞駐屯地平和台駅近くには練馬駐屯地、そして市ヶ谷の防衛省、永田町、そして桜田門の警視庁前を通ります。また、戦前には思想犯を収容していた巣鴨プリズンも沿線。これが偶然と言えるでしょうか」

 もちろん、公式には有楽町線が“軍用路線”であるとは言われていない。しかし、飯田橋~市ヶ谷間は列車が4本並んでも余るほどの大きなトンネルになっているなど、不自然な点は多い。

 「東京メトロや鉄道に詳しいマニアたちは、これについて車両留置所として使われていることを指摘して、『軍用路線は都市伝説』と切り捨てます。ですが、よく考えてみてください。軍事利用はあくまでも有事限定。目を凝らせば電車の中からでも見える広大なスペースを、ただそのままにしておけばますます疑念は深まってしまいます。そこで、平時には車両留置所として使い、いざとなれば自衛隊員や戦闘車両の輸送に使われる。おそらく、そうしたオペレーションがメトロと自衛隊の間で定められているはずです」(A氏)

 また、有楽町線は現在、副都心線ともつながっており、新宿御苑明治神宮も結んでいる。そこに“なにか別の目的”を感じ取っても何ら不思議ではないだろう。

 こうした論調に対する反論としてよく言われるのが、『地下鉄の中は、戦車は走れない』というもの。確かに、線路も敷かれているし、トンネル幅を考えれば戦車が走るのは難しい。しかし、東京でテロやクーデターが発生した際、戦車が出動する可能性はどの程度あるのか。むしろ、自衛隊の精鋭部隊が秘密裏に徒歩で移動するために造られていると考えられる。

 また、大江戸線自衛隊が輸送訓練を実施したという事例や、地下鉄以外にも主要幹線道路の地下約50メートルに巨大なトンネルがいくつも建設されているなど、歴然とした事実もこうした“地下鉄の秘密”を裏付ける。地下の巨大トンネルは、通信ケーブルや電線などを埋設するため、もしくは洪水時の水の逃げ道として、造られていると言われている。しかし、こうしたトンネルが緊急時の避難経路となりうることは間違いないだろう。

 21世紀に入り、ますます東京への一極集中が進む中、政府の要人や皇族の避難用として、そしてテロやクーデターへの備えとして、戦前から東京の地下に張り巡らされた秘密の地下トンネルは、戦後も“地下鉄”という公然の形を取りながら、さらなる拡大を続けているのだ。


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