鉄道業界での女性進出が著しく遅れた理由


鉄道業界での女性進出が著しく遅れた理由
映画で肥薩おれんじ鉄道の運転士を演じた有村架純さん

 人口減少がすすむ日本では、働く人が足りない時代がくると言われている。そうならないために、男性だけとされてきた職場にも、女性を積極的に採用する流れがある。雇用機会均等法の施行があったにもかかわらず、鉄道は、なかなか女性が働く場所にならなかった。その背景と歴史について、ライターの小川裕夫氏がレポートする。

 11月30日から公開された映画『かぞくいろ―RAILWAYS わたしたちの出発―」は、主演の有村架純さんが肥薩おれんじ鉄道の運転士として奮闘する姿を描いた作品だ。
「RAILWAYS」シリーズ3作品は、主人公が鉄道に愛着を抱いているという点で共通している。亡夫の遺志を継ぐという形ではあるが、有村さんの鉄道への情熱も本作の見どころのひとつだろう。
 今を時めく女優の有村さんが演じたことで、鉄道運転士が華やかな世界に見えるかもしれない。しかし、実際の鉄道業界は、女性の進出が著しく遅れた世界でもあった。それでも男女雇用機会均等法が施行された1986年から、女性の社会進出は少しずつ広がった。
 一方、1987年に国鉄から改組した当時のJR東日本では、女性社員は全社員の1パーセントにも満たなかった。出だしから鈍かった鉄道業界における女性の進出は、その後も他業界に後れをとった。鉄道は、働く人も趣味とする人も“男”が大半を占めてきた。
 男のイメージが強い鉄道ファンだったが、2008年前後に“鉄子ブーム”が起き、それに乗じて国土交通省は参加型ホームページ「~鉄男・鉄子、みなさんの部屋~」を開設。そこから、鉄道趣味の分野では女性も認知される。
 しかし、鉄道の現場、つまり働いている人の大半が男性という状況は変わらなかった。
「少しずつ鉄道業界も女性が活躍するようになっていますが、どうしても男の職場というイメージは強くあるようです」と話すのは、独立行政法人国立女性教育会館情報課の星野咲希さんだ。国立女性社会教育会館では、9月21日から来年4月19日まで“女性と鉄道展”を開催している。
 国立女性教育会館は、男女共同参画を推進するために文部省(当時)の附属機関として1977年に発足。以降、女性の社会進出や活躍推進などの人材育成や調査研究に取り組む。
 そうした中、鉄道業界で働く女性をクローズアップしようと考えたのは「鉄道会社で働く友人から職場の話を聞いたこと」(同)がきっかけだった。星野さんは、国立女性教育会館で開催する企画展のテーマを考える担当。これまでにも化学や演芸といった、ちょっと風変わりな分野で女性の社会進出にまつわる企画展を開催した実績がある。
 友人の話を聞き、星野さんは男性社会である鉄道にも女性が進出する道を示したいと考えるようになった。しかし、改めて企画展の準備で資料を収集していくと、鉄道業界の閉鎖性を感じさせられたという。
 例えば、東京市電気局(現・東京都交通局)が従業員用に配布していた手帳「電車従業員心得」には"男子ニテ品行方正身元確実ノモノ"という一文が公然と掲載されている。
 東京市電気局は純然たる公的機関。女性が就業できないことを仄めかす書き方ならともかく、女性が就業できないことを堂々と謳っていることには驚きだ。これは、一例にすぎない。星野さんは調べれば調べるほど、鉄道業界が特殊な業界であることを実感した。
 もちろん、現在の東京都交通局には女性職員が在籍している。今では、駅ホームなどで女性職員を目にすることは珍しくない。東京市電が男子しか採用しなかった戦前の例をもって、現代の鉄道業界を論じることはできない。それでも、男性職員に比べれば圧倒的に女性は少ない。
「ほかの業界に比べ、鉄道業界の女性進出が遅れた理由は勤務体系にあります。鉄道は朝早くから夜遅くまで運行していますから、駅員や運転士の勤務体系は通常の会社とは異なるのです。泊まり勤務もあるので、事業者は宿泊施設を整えたりしなければなりません。お金がかかりますし、整備時間も必要です」(同)
 鉄道業界だけに限った話ではないが、中小企業は数少ない女性社員のために女性トイレや更衣室を設置できるほどの財政的な余裕がない。
 企業規模の大きなJRや大手私鉄でも、職員用の女性トイレや更衣室を勤務先の各駅や車両基地などに設置することは難しい。まして、経営の厳しい地方鉄道が女性職員を採用するとなると負担は莫大になる。こうしたことを理由に、女性職員の採用に尻込みしてしまう鉄道事業者の気持ちは理解できなくもない。
 とはいえ、女性の社会進出は時代の要請でもある。鉄道事業者だからといって、「女性は採用しない」という理屈は許されない。また、鉄道業界では運転士などの成り手が不足しており、そうした面からも女性の受け入れを拡大させる芽は生まれている。
 いまだ鉄道は男の職場という意識は根強いが、戦中や戦後間もない頃の鉄道は女性が支えてきた事実も忘れてはならない。
 戦時中、男たちは兵士として戦地に送られた。他方、女性は軍需工場や郵便配達、電車の運転などを任された。特に、市民の足として欠かせない交通機関だった路面電車では多くの女性が活躍した。
 女性職員を積極的に採用した函館市電では、戦後に男性職員が復員したことで女性は失職。函館市電で働いていた女性たちの活躍を惜しむ市民たちの思いは強く、1992年に復活した箱館イカラ號では女性車掌を起用。女性職員が函館市電に戻った。
 広島電鉄は、戦中に女性運転士を養成する広島電鉄家政女学校を開校。女学生たちは学業を学ぶとともに電車の運転技術などを磨き、広島市民の暮らしを支えた。
“女性が輝く社会”を掲げた安倍政権は、2015年に女性活躍推進法を成立させた。安倍政権が鳴り物入りとして掲げた女性活躍は、すでに世間から忘れられつつある。そのため、看板倒れの政策との指摘もある。
 それでも、時代の後押しもあって鉄道事業者における女性社員の比率は着実に上昇している。男女雇用機会均等法の施行から20年以上もの歳月を経た2018年、JR東日本の男女比率は男性社員が約4万7000人、女性社員は約7000人となった。
 JR東日本の企業規模からすれば、女性社員数は決して多いとは言えない。また、他業界に比べれば、圧倒的に女性比率は低い。とはいえ、前述した"事情"を理由に、女性が少ないことを正当化できる時代ではなくなった。
 今後、鉄道業界における女性の活躍フィールドは拡大するだろう。雇用する側の鉄道会社にも、それが求められている。
 早晩、“鉄道は男の世界”というレッテルが剥がされることを願いたい。


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